笑いの周期について考えました

たけしのコメント、別の記事もありました。
「追い越せ追いつけでやってきたけど、笑いの基本はいかりやさんにあった。ドリフはネタの作り方がすごくて、オイラのは、あぶくみたいなもん。亜流は亜流なんだよ」と大先輩の功績をたたえた。「最近は亜流でネタもきちんとしていない番組がたくさんある。これからは本物が求められるときと思っていただけに、残念」
引用:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040328-00000009-sph-ent
たけしが指していたのは「作り込んだ笑い」だったんだ。勘違い。
「これからは本物が求められるとき」、どういう意味なんだろう。自分なりに解釈。
お笑いには周期があるという仮説を立ててみます。ドリフは作り込んだ笑い。
それが、バブルの頃を境に飽きられてしまった。90年代はよく「予定調和の笑いに視聴者が飽きてきた」という表現をしていた。ハプニング(風のこと)が面白いっていうのは、広い意味での「笑い」が起きる本質だから、それも笑いとして広く受け入れられる。そこに笑いの舞台としてのバラエティ番組、という考え方が出てくる。
よって、芸人には瞬発力、発想の豊かさが求められてきた。その王様がダウンタウン、ですよね(でもダウンタウンが王者になれたのは、基本の笑いもこなせるからだと思います)。
ダウンタウンに強く影響を受けた芸人が増えて、その傾向が強くなった。笑いの舞台としては、ますます芸人の芸に頼る演芸番組よりは、番組自体のおもしろさで勝負するバラエティ番組が増えていく。構成作家全盛期(例:おちまさとブーム)。
視聴率競争のあおりを受け、同じテイストの企画がテレビであふれる。よって、最近はそれも飽きられてきて、また今後は芸人の芸に注目がいくのかも知れない。様々な芸人の多彩な芸。その序章がオンエアバトルをはじめとする、ネタ番組の増加ではないか。
なーんて、思ったのですが、読み返すと、これを「独断と偏見」というのでしょうね。演芸研究報告でした。>ネパール殿。