映像での笑いの可能性をまだ探れるはず

私は基本的にバラエティーしか見ない人間なのですが、トークバラエティーって苦手なんですよ。

話している当人にとっては面白いことなのかもしれませんが、見ている自分達にはその状況を自分の経験から想像するしかなく、個々の経験がさまざまであれば面白さも変わってしまうと思うんですよね。

しかも編集や台本があって聞きやすくはなっているのでしょうが、話が散漫でわかりづらい。

ラジオのネタのほうが多少の誇張なども加わっているのでしょうが、よほど面白くてわかりやすいと思います。

id:haru-kanさんのblogを見て、いろいろ考えてしまいました(引用:http://d.hatena.ne.jp/haru-kan/20040823)。
もうね、これは送り手の問題ですよ。芸人の力量、そしてスタッフの力量。話で笑わせるってのは、太古の昔からあって、テレビではそれを中継してるってとらえ方もできるわけです。私もネタ番組派ですが、たぶんトーク番組ってジャンルは、もともと面白いものだと思うんです。
「ネタとトークどちらもできる若手があんまりいない」って松本紳助が言っていたのを思い出しますね。今、芸人の力量を図るのは、近年のお笑いブームでネタ先行になっていますよね。ネタが面白ければ、テレビに出れて、顔が売れて、バラエティにも呼ばれる。トークからテレビに乗るより早いから、トークを磨くよりネタや、集団のリアクションだったりそっちを磨こうとしているんじゃないかなぁ、と。
「見ている自分達にはその状況を自分の経験から想像するしかなく、個々の経験がさまざまであれば面白さも変わってしまうと思うんですよね。」
その通りだと思います。逆に、その個人の経験の差を埋めて共有させるのが、トークの芸なのかも知れないな、とも思ったわけです。私が中学校の頃に聞いたことなんですけどね、少ない言葉数で、さもその現場にいるかのように思わせなければならない、って。これは紳助の言葉だったかな?あと、ラジオのカリスマ伊集院は、「赤っていう色を目の見えない人に、どうやって伝えるか、それがトークというものだ」という内容のことを言っていました。それができていない、というのはやっぱ修行不足、なんだろうなぁ、と。
で、テレビっていうのはたいてい編集が入るので、「少ない言葉数で、さもその現場にいるかのように思わせなければならない」のに、カットされている可能性があるわけですよ。言葉以外にも、表情やリアクションや、そういう情報も総合して人は脳裏に場面を描いていきますから、それがカット、もしくはカメラに映っていない可能性もある。それすら補うのが、編集、もしくは演出だと思うんですね。「話が散漫でわかりづらい」ってことは、やっぱりその部分での気遣いが足りないか、力不足なんだと思います。
haru-kanさんの指す「ラジオのネタ」が投稿ネタだったら、素人に負けているということですよ。もちろん趣味やジャンルの違いはあるかもしれませんけど。笑いが総合格闘技だとしたら、haru-kanさん的には素人が判定勝ちしているのです。(もちろんそこには、コーナー企画を考え、ネタを読み上げ、盛り上げるプロのサポートがあるわけですが)
つまり、トーク番組、もっと頑張れ!と思ったと言うことです(^^;

せっかくTVという映像メディアを使うのであれば、やっぱり映像で笑わせて欲しいな。

これは日々私も思っていることで。テレビが生まれて半世紀たっても、やっぱりネタとトークが笑いのメインですものね。もっと貪欲に映像でしかできない笑いの可能性をさぐってもいいと思うんですよね。
内村プロデュースの内村がタランティーノにインタビューに行ったときの回は笑ったな〜。実際に会いに行ってなくて、合成映像なんですけど、その映像がぐだぐだなの!(笑)切り取り方が荒くて、ウッチャンが浮いて見れるし、後ろの映像と動きがあってなかったり、いきなりウッチャンが大きくなったり、小さくなったり。タランティーノをピコハンでピコピコ叩く、小さなウッチャン(笑)合成映像の違和感を誇張してネタにしてた。
「写真で一言」とか「アフレコ大喜利」とか大喜利や、パロディコントという形で映像をフル活用した笑いを生み出しているものもあり、徐々に可能性を見いだせてると思うので、映像の笑いというコンセプトの番組をばーんとやれる日が来たら素敵。それ考えたら、「オーマイキー」はよく頑張ったね。
お笑い番組が「ネタ番組」「トーク番組」の他に、また新たなジャンルができたら素敵ですね。