お笑い養成、小粒でピリリ、「家族的」に切磋琢磨小劇場で芸披露、松竹芸能、有望タレ

 「関西のお笑いは吉本だけやおまへんで」――。「よゐこ」「オセロ」「ますだおかだ」「安田大サーカス」など、松竹芸能に所属しているお笑いタレントが元気だ。これまで同じ大阪を本拠地とする吉本興業に押されがちなイメージがあったが、規模の小ささを生かした家族的な若手養成の仕組みや新しい劇場を使った実験的な試みを武器に、人気タレントを増やしている。
 毎週火曜日の夕方六時。松竹芸能の本社がある大阪・ミナミのビルの地下一階に、お笑いタレントを目指す十代後半から二十歳代の若い生徒約三十人が集まる。同社が開くお笑いタレント養成所だ。
 「お客さんの方に顔を向けながらネタやらんと!」。一週間かけ練習してきたネタをマネジャーたちに見せ、指示を仰ぐ「ネタ見せ」の時間。厳しい指摘にタレントの卵たちは正座でじっと耳を傾ける。マネジャーに見どころがあると判断された生徒には、若手の登竜門となるライブに出演するチャンスが与えられるからだ。
 松竹芸能がタレント養成所を設けたのは一九六八年。ダウンタウンらを生んだ吉本興業吉本総合芸能学院(NSC)より十四年も古い。そのNSCとの大きな違いは少人数制を採っている点だ。希望者全員をほぼ受け入れ、毎年大阪だけでも五百人を超えるNSCに対し、松竹芸能の新入生は倍率三、四倍の選考をくぐり抜けた百人以内だ。
 新人育成を担当するタレント開発部の奥元伸典部長は「人数が少ないからこそタレントの卵を一から育てて面倒をみることが可能だ」と語る。全社五十人のマネジャーのうち八人が専任で若手の指導に当たる。
 こうした取り組みの成果は着実に上がっている。一九九九年以降毎年のように、上方漫才大賞をはじめ大小様々なお笑い大賞の賞レースに所属タレントが顔を出すようになった。
 団長の安田裕己、巨漢のHIRO、ソプラノボイスのクロちゃんの三人組で、漫才や体当たりの芸で若者を中心に大人気のお笑いトリオ「安田大サーカス」はそんな松竹芸能の中で最も勢いのあるタレントだ。
 「タレント同士、すごく仲が良く、悩み事や良かったことなどを共有できない先輩や後輩はいない」(団長)。「しかってくれる先輩がいるのが一番」(HIRO)。彼らは口をそろえて家族のような人間関係を持つ松竹芸能の魅力を語る。
 二〇〇四年一月、大阪・ミナミの道頓堀筋にお笑い専門の自社運営劇場「B1角座」をオープンしたのも同社にとっては大きな節目だ。常設小屋は百八十席と小ぶりながら、若手タレントが実験的に芸を披露する場となった。
 昼の部は「横山たかし・ひろし」ら中堅タレントが主体で出演。夜になると、若手タレントがそれぞれの芸を競い合う。劇場には将来有望なタレントを青田買いしたい十―二十歳代の女性の観客の笑い声があふれる。
 松竹芸能が若手育成に力を入れる背景にはメディア戦略がある。携帯電話などメディアの種類が広がる中、配信・販売できるコンテンツ(情報の内容)の充実が芸能各社の大きな課題となっている。同社も発掘、養成したタレントをDVDソフトに生かすなど、多重活用を模索する。
 そこには親会社、松竹の思惑もうかがえる。松竹は〇一年十二月、出資比率を高めて連結子会社化し、グループ経営を強めた。今年初めには松竹の映像部門出身の安倍彰氏が社長に就いた。松竹の映像部門を活用してお笑いのソフトを制作する体制をつくり、「グループとしてコンテンツビジネスの力を発揮できるようになった」(大捕一久取締役)。
 かつて松竹芸能は道頓堀かいわいの芝居小屋を取り仕切り、藤山寛美率いる松竹新喜劇を抱えていた。今年末には藤山寛美が全盛期だったころの松竹新喜劇をDVDソフトで発売する。「こうした“昭和の宝”と誇れる文化を持つからこそ余裕を持って若手を育成できる」と安倍社長は自信を見せる。
(大阪経済部 秋山文人
松竹芸能小史》    
  出来事  主なお笑いタレント
1956年  現会長の勝忠男氏が新世界演芸場を運営する会社として設立  
58年  道頓堀角座がオープン  かしまし娘
68年  タレント養成所開校  正司敏江・玲児
84年  角座閉館  横山たかし・ひろし
87年  道頓堀浪花座が新装オープン  森脇健児山田雅人
2001年  松竹が出資比率引き上げ(連結子会社化)  よゐこ、オセロ、アメリカザリガニますだおかだ安田大サーカス
02年  浪花座閉館  
04年  道頓堀B1角座オープン 

引用:2005/05/28, 日本経済新聞 夕刊
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